| ■デビュー以前■
リー・モーガン(tp)1938年7月10日ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。
14歳でトランペットをプレゼントされ独学でマスターする。最初のアイドルはディジー・ガレスピー。15歳の時クリフォード・ブラウンを聴き多大な影響を受ける。
高校時代の同級生ボビー・ティモンズ(p)スパンキー・デブレスト(ds)らとグループを結成し活動する。この当時フィラデルフィアには後にジャズ界をリードするマッコイ・タイナー、アーチー・シェップ、ヘンリー・グライムスなどのミュージシャンがいた。
17歳ごろより「ミュージック・シテイ」というクラブで演奏する様なる。このクラブではニューヨークからやってきた大物ミュージシャンが演奏してリー・モーガンも彼等と共演の機会を得ている。
1956年アート・ブレイキー一行がフィラデルフィアに巡業に来た折メンバーがたりず、リー・モーガンとスパンキー・デブレストが臨時にグループに加わりスパンキー・デブレストはそのまま正式メンバーとしてジャズ・メッセンジャーズに参加する。
その後あこがれのディジー・ガレスピー楽団に欠員が出たときに推薦されて加わる。ガレスピーもリー・モーガンの才能を見とめ度々彼をフューチャーする。バード・ランドでのプレイなどで次第に注目を集める。
■レコーディング・デビュー■
1956年ハンク・モブレイに認められたリー・モーガンは彼の推薦によりブルー・ノートにリーダー・アルバムを吹き込む事になる。「LEE MORGAN INDEED!」1956年11月4日わずか18歳3ヶ月だ。
初レコーディングが初リーダー・アルバムということでいかに彼がプレイがすごいモノだったかがわかる。
しかしそれにもましてすごいのはその翌日サヴォイにもう1枚のリーダー・アルバム「INTRODUCING LEE MORGAN」を吹き込んでいる事だ。彼自身によるとこのアルバムの出来はさんざんだったらしい。しかし18歳とは思えない堂々としたプレイがすば。
■破竹の快進撃■
ブルーノートの初吹き込みのわずか2ヶ月後第2弾「LEE MORGAN VOL.2」を録音。その3ヶ月後には「LEE MORGAN VOL.3」を録音している。この中の「I REMEMBER CLIFFORD」は彼の名演として名高い。
この時期よりポストクリフォード・ブラウンの一番手として自他ともに認められる。この57年にはこのあと「CITY LIGHTS」「THE COOKER」唯一のワン・ホーン「CANDY」と全部で4枚のリーダー・アルバムをブルー・ノートに録音。そのほかジミ−・スミス「HOUSE PARTY」「THE SERMON」ジョン・コルトレーン「BLUE TRANE」などの録音に参加して八面 六臂の活躍だ。
■ジャズ・メッセンジャーズ参加■
1958年1月にディジー・ガレスピー楽団解散後リー・モーガンはニューヨークに居を構えボビーティモンズと共同生活を始める。またジュリアード音楽院に通 い正式な音楽教育を受ける。
1958年9月正式にジャズ・メッセンジャーズのメンバーとして活動を開始。この年の10月に吹きこまれた「MOANIN」こそファンキーの記念碑的作品となる。
さらに伝説のパリでのコンサートへ突入していく。この時録音された「AU CLUB ST.GERMAIN」の興奮はいまも語り草だ。そして映画のサウンド・トラック「殺られる」を録音。
1960年ついにウエイン・ショーターがメッセンジャーズに参加。しかし以前から度々ウエイン・ショーターと活動を共にしていたので二人のコンビは最高だ。ジャズ・メッセンジャーズ自体もこの頃の演奏が一番密度が濃い。
なおリー・モーガンは58年ごろよりVEE JAYに録音を始める。ウイントン・ケリーの「KELLY GREAT」でウエイン・ショーターと共演し彼の初リーダー・アルバム「INTRODUCING WAYNE SHORTER」にも参加している。
VEE JAYでのリーダーアルバムは「HERE'S LEE MORGAN」「EXPOOBIDENT」リー・モーガンの魅力が一杯詰まったプレイ。少しとっぽいプレイがなんとも言えない。
この時期も自己のリーダー・アルバム以外にもハンク・モブレイやカーティス・フラー、恩人ベニー・ゴルソンのアルバムなどに加わり充実した活動だ。
■来日コンサート■
1961年ジャズ・メッセンジャーズが来日したわけだがこの来日は当時日本の音楽界にとってエポック・メーキングな出来事であったようだ。
日本では「サンジェルマンのジャズ・メッセンジャーズ」が大ヒット中でそば屋の出前持ちまで「モーニン」を口ずさんでいたという伝説もあるくらいだ。
日本での衝撃的な演奏で一夜にして日本のジャズ界はメッセンジャ−ズ一色になったそうだ。トランペッターはみな彼のフレーズをコピーしたらしい。
リー・モーガンはやはりガール・ハントに忙しくいろんな噂が飛び交った様だ。また彼のファッションが与えた影響もすごいらしく黒人のアイビー・ルックが日本で大流行する事になる。
■スランプ■
1961年カーティス・フラーがジャズ・メッセンジャーズに加わり3管編成になったところでインパルスに吹き込み後メッセンジャーズを退団し自己のグループを結成する。
しかし天才リー・モーガンにもスランプがおとずれる。7月に退団後次のリーダーアルバムは1962年1月までない。しかもジャズランドに吹き込まれたアルバムは内容的にも沈んだものとなりバリバリと吹いていたあのリー・モーガンかと思わせるほどの変わりようだ。(僕はこのアルバムを別 な意味で好きです)ジャケットも颯爽としたモーガンではなく怒りの表情をみせている。
この時期麻薬の治療によるための引退状態と言われている。また奏法上の悩みもあったようだ。とにかくあの大ヒットアルバム「THE SIDEWINDER」の登場までしばしリー・モーガンはジャズ界から姿を消すことになる。
次回は1963年復帰後からその最期までです。
◆こぼれ話
有名な「サンジェルマンのジャズ・メッセンジャーズ」のなかで大声でわめいている女性の声が聞こえます。女流ピアニストのヘイゼル・スコットです。あまりの感激で失禁してしまったとか。
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