| ■サイドワインダー■
1963年夏に再びニューヨークに戻ったリー・モーガン。2ヶ月後にハンク・モブレイのアルバムに参加してブルー・ノート再デビュー。そして年末にあの「サイドワインダー」を録音。このアルバムが翌年9月に発売されると大ヒットとなりビルボードのヒット・チャートを賑わす。ジャズアルバムとしては異常なことだった。
内容は8ビートを基調にしたリズムによりジャズ・ロック(懐かしい響き)と呼ばれその後2匹目のどじょうをねらったアルバムが続々とリリースされたが内容的にこのアルバムを凌ぐものはなかった。
この年1964年リー・モーガンは再びジャズ・メッセンジャーズに加わりよく1965年1月来日している。
この「サイドワインダー」は全曲リー・モーガンのオリジナルで固めた初めてのアルバム。リー・モーガンの作曲の才能の高さをうかがわせる。ともかくこのアルバムの大ヒットによりリー・モーガンは新たな世界へと進んでゆく。
■ソロ・活動■
サイドワインダーのヒットによりリー・モーガンは1965年4月にジャズ・メッセンジャーズを退団してソロ活動を開始する。
この年ブルーノートに立て続けにアルバムを録音する。4月に「ランプローラー」6月「ザ・ジゴロ」9月「コーンブレッド」そしてサイドメンとしてハンク・モブレー、ジャッキー・マクリーンのアルバム参加している。この時期のリー・モーガンのやる気は相当のものがあったのだろう。
翌年も何枚かのアルバムをブルー・ノートに録音している。しかし発売されたのは「デライトフリー」1枚であった。なぜアルフレッド・ライオンが没にしたのか計りかねるが後年発売 されたアルバムを聴く限り熱気あふれる内容となっている。
68年ごろよりリー・モーガンのリーダー・アルバムは極端に少なくなりほとんどリリースされなくなる。これは結局サイドワインダーのヒットの弊害であろうと僕は思う。
■黒人運動■
リー・モーガンのイメージとしては柔らかいイメージが先行して人種問題などには興味がないようにみえる。実際には黒人意識がたかく1970年にローランド・カーク等とともに「ジャズ・アンド・ピープルズ・ムーブメント」という団体を組織し、黒人ミュージシャンの地位 向上と放送メディアへの出演を増やすという運動を展開した。
その運動も売名行為としてしか受け取られず翌年には停滞してしまう。しかしリー・モーガンの心の底には常に黒人としての意識があったようだ。
■レギュラー・グループ■
60年代後半からリー・モーガンはレギュラー・グループによる活動を開始する。これまで一時期をのぞいて自己のレギュラー・グループでの活動がほとんどなかったリー・モーガンだが、このころよりかなり自己の音楽の方向性が見えていたのだと思う。そのためにはレギュラー・グループによる活動が必要だったのだろう。
その最大の結実が1970年のライトハウスのライブアルバムだ。このクラブには69年頃から度々出演していて西海岸における彼らのホームグラウンドだったようだ。クラブでは相変わらず「サイドワインダー」のリクエストが多かったようだがリー・モーガン自身はもはや過去の曲である「サイドワインダー」を演奏することを好まなかったようだ。
このライトハウスのライブアルバムを聴くともはやリー・モーガンの目指しているものは別 のところにあるのがよくわかる。マイルスとは違った意味で70年代をリードしていく姿勢がみえた。
72年に録音された2枚組のラスト・アルバムはリー・モーガンのアルバムの中ではもっともフリーな演奏だが熱気のあふれる演奏だ。最後までリー・モーガンはこのクインテットで活動していた。
■最後の夜■
1972年2月16、17日チャールズ・アーランドとの共演が最後の吹き込みでよく18日はニューヨークのクラブ「スラッグス」に出演していた。
セカンド・ステージが終わり次のステージまでの休憩時間、リー・ モーガンは14歳年上の愛人ヘレンに別れ話を持ち出した。実はリー・ モーガンにはそのときフィアンセがいたらしい。
クラブを出ていった彼女はバックをもって戻ってきた。そしてバックから取り出した32口径の拳銃でリー・モーガンを撃った。弾は心臓を貫通 して病院に運ばれるも即死だったらしい。
33歳という若さでこれからを期待されていた時にリー・モーガンは愛人に撃たれるというショッキングな形で逝ってしまった。映画のストーリーのように伝説となってしまった。しかしリー・モーガンが僕らに残してくれたアルバムは今も光り輝いている。
サイドワインダーのヒットで逆にファンからそっぽを向かれた彼だが最近になって後期のアルバムにも脚光が集まっているのは喜ばしい。
◆こぼれ話
リー・モーガン殺害のニュースはリアルタイムで知りました。新聞の囲み記事の中に小さく載ってました。スイング・ジャーナル4月にセンセーショナルに掲載されいたのを覚えてます。今ほど感慨が無かったです。
なおジャズ批評87号を参考に執筆させていただきました。この場を借りて感謝いたします。 |